エキスポランド閉園の理由はオロチ?Fridayで首飛ぶ写真は嘘。跡地の現在と事故後

エキスポランドとは、かつて大阪府に存在した巨大な遊園地です。

90年代から00年代半ばまで関西を代表する娯楽施設でしたが、2007年に施設内のジェットコースターで大事故を起こし、現在は閉園となっています。

2007年のエキスポランドのジェットコースター「「風神雷神II」の事故に関しては、現在までに日本国内で数少ない死亡事故として語り継がれています。

当時の事故や、犠牲者の亡くなり方に関しては、ネット上でさまざまな噂や都市伝説があります。

今日は2007年にエキスポランドで起きた事故と犠牲者について書いてみたいと思います。

エキスポランドとは?大阪吹田にあった絶叫系が盛んな遊園地。OROCHI(オロチ)や「風神雷神II」が有名

大阪吹田市にあった巨大テーマパーク・エキスポランド。

1970年に催された大阪万博のアミューズメントゾーンとして開園した遊園地です。

大阪万博終了と共にエキスポランドも一時閉園となりましたが、約2年後に独立して営業を再開。

独立後は、”大阪といえばエキスポシティ”と呼ばれるほど有名な遊びのスポットとして人気を集め、ユニバが完成するまでは大阪旅行の定番の1つでした。

名前 エキスポランド
場所 大阪府吹田市千里万博公園1番1号
開園 1971年10月1日
閉園 2009年(2007年12月から休園)
敷地面積 約20ヘクタール
総工費 約50億

 「風神雷神Ⅱ」と「オロチ」が看板アトラクション。絶叫系の名所としてファンが多かった

エキスポランドの魅力といえば、絶叫系マシンが充実してることです。

定番のジェットコースターといえば、万博に付随して開園した当初からあった「風神雷神」を改良した「風神雷神II」です。

4人乗り6両編成のマシンで、製作はトーゴと泉陽興業の共同です。

1992年(平成4年)に導入された「風神雷神II」は、全長1050m・最高地点40m・最大傾斜45度・最高時速75kmの立ったまま搭乗する国内屈指の絶叫マシンでした。

青色の「風神」と赤色の「雷神」のいずれか1編成のみでの運行するシステムですが、混雑時は1編成が走行中に相方の編成が出発準備をする形態をとっていました。

後に記述する事故の影響で2008年3月に撤去させるまで、日本全国の絶叫好きに愛されたマシンでした。

「風神雷神II」と同じくエキスポランドの目玉とされていたのが、1996年(平成8年)3月15日に導入さた「オロチ」です。

オロチは完成当時は世界最大の宙吊り式ジェットコースターで、全長1200m・最高地点43m・最大傾斜40度・最高時速90km・最大傾斜40度と、「風神雷神II」よりも怖いと言われたマシンです。

エキスポランドのマスコット「おろちくん」は、同マシンからのネーミングで、完成以降は「風神雷神II」よりも注目度が高く、同園の代名詞的なジェットコースターでした。

スイスB&M社製で、2009年8月に撤去された後はフランスの会社に売却され、その後はWalygator Grand-Estにて「Monster」として稼働していました。

2007年の事故が発端になり休園。その後に閉園。メンテナンス環境が悪かった

2007年5月5日に、エキスポランドの看板マシン「風神雷神II」にて、かの有名な脱輪事故が起きました。

風神」の車体から車輪と関連する部品が外れて脱輪、乗客1名が死亡、複数名が負傷しました。

国内初のジェットコースター走行中の死亡事故だったということで、”日本の遊園地は安全だ”との認識が強かった当時の日本国民に衝撃を与えました。

事故後に車輪が脱輪した原因が、車両の左側を支える車軸が折れたことによる金属疲労であったことが明かされていますが、車軸を固定するためのナットの締結が不十分だったことが原因で金属疲労が早まったとメンテナンス管理の悪さが露呈しました。

事故車とは別の車両のパーツでも亀裂が確認されており、さらに深刻な事故が起きていた可能性もあったのです。

長年の運行により「エキスポランド」のアトラクションの点検はずさんになり、点検報告も形骸化して意味を成していなかったのです。

エキスポランドの慢性的な点検先送り。閉園の理由は事故直後のオロチなどのトラブル

事故からしばらくして休園し、その後に破産&閉園の道を辿ったエキスポランド。

2007年の「風神雷神II」での事故が有名で、それが閉園の理由になったとの見解が多いです。

しかし、実はエキスポランドが閉園になった理由はそれ以外にもあるのです。

実際に、事故直後にすぐにファンが離れたわけではなく、「他の乗り物は大丈夫」風神雷神IIがダメなら昔の〜を復刻して」というテンションでした。

エキスポランドは5月の大事故の後も、しばらくは通常通りに運行。

しかし、他の乗り物でもトラブルが相次き、それらがファン離れと破産に繋がったのです。

ジェットコースター事故からの再開初日の8月10日に小型コースター「ワイルドマウス」がコンピュータの不具合で緊急停止。

さらに、その1ヶ月後の9月15日には「OROCHI(オロチ)」が周回を終えホームに戻ってきた後、安全ベルトを外す場内アナウンスが流れるも停止せず2周目に突入するというトラブルがあったのです。

10月には急流すべり「バックスピン」にて、小学1年の男児がボートの縁に頭を打ち付け、救急車で搬送される事故が発生。

年内で目立ったトラブルが多発したことで、ファンからの信用もなくなり、来場者数が激減したのです。

事故で取締役と営業部長が業務上過失致死傷罪。技術課長は建築基準法違反

再開後も事故が多発し客足が伸びなかったため12月9日をもって再び休園

「風神雷神II」ほか4施設を撤去すると共に改修工事に入ると発表し、2009年春に再開を予定していましたが、2008年10月に自主再建を断念

その後、民事再生法の申請を行い2009年2月に破産手続に移行しました。

2007年5月5日の「風神雷神II」の事故の結果、エキスポランドを運営する会社の幹部らが罪に問われました。

事件当日に山田三郎社長がすぐに記者会見を開き謝罪

その後に、定期点検を行わないなど、ずさんな会社の実態が露わになりました。

1996年に年間220万人の来園者を誇っていたエキスポランドですが、事故当時の来園者は半分以下の100万人にまで減っていました。

経営難に陥っていたためエキスポランドでは、検査の頻度を減らし、利益を優先していたことがわかっています。

取締役と施設営業部長は業務上過失致死傷罪

大阪地裁によって禁錮2年、執行猶予4年、罰金40万円(求刑禁錮2年、罰金50万円)の有罪判決を受けました。

また、建築基準法違反に問われた法人としての同社には罰金40万円(求刑罰金50万円)、技術課長には罰金20万円(求刑罰金30万円)が課せられました。

エキスポランド死亡事故の犠牲者・小河原良乃(19歳)。体重関係なくミンチも嘘

風神雷神II」の脱輪事故で犠牲者となった小河原良乃さん。

当時、19歳の会社員でした。

名前 小河原良乃
出身地 滋賀県東近江市
生年月日 1988年
家族 母・美代子。2人の姉。1人の兄。(良乃さんは末っ子)。父は交通事故で他界。
職業 会社員

事故は5月5日こどもの日、昼下がりである午後12時48分に起こりました。

小河原良乃さんは友人ら5人と滋賀県東近江市から遊びに来ていました。

6両編成で定員24名である「風神雷神Ⅱ」に乗り込み、この時乗客22名を乗せて走っていました。

走行中、突然2両目の車輪が脱線し、2両目の車体は左側に傾き、傾いているところにレール沿いに設置してあった緊急避難通路の鉄柵があり、激突してしまったのです。

小河原さんは鉄柵に当たらないようにと必死に手で押さえていましたが、耐えきえれず腕が持っていかれてたのです。

小河原良乃さんは鉄柵に首が挟まりすぐに亡くなられてしまいましたが、遺体は右肩から左脇にかけて酷く損傷していたそうです。

友人は、事故直後に「よっちゃんがいない。どこ、どこ?」と探していたようで、倒れているのが自分の友達だと理解するまでにタイムラグがあったようです。

また、小河原さんの後ろの席だった20歳の友人の女性は、頭を強く打ち集中治療室で治療する事となりました。

友人も重症。現在までに母親や乗り合わせた人も精神的に苦しむ

友人を含む男女2人が重傷で、その他にも19人が軽傷を負いました。

目撃者の中には気分が悪くなってしまい病院へ駆け込んだ方もいました。

搭乗者の中には事故後もトラウマで精神的に不安定になってしまった方もいます。

友人と2人でコースターに乗った大阪市内の女子生徒(14)は、事故後は突然パニックになり、学校内で泣き出してしまうことがあった。「サイレンの音や、赤色灯を見ると事故の光景が目に浮かぶ。赤い色を見るだけでもつらくなる」と話し、今もサイレンが聞こえると、耳をふさいでやり過ごす。

搭乗者の中には、事故後もトラウマで精神的に不安定になってしまった方もいたそうです。

小河原さんは生きていれば翌年2008年の成人式に出席する予定で、振袖などの準備も進めていました。

母親は死後、毎日泣いて暮らしており、亡くなってから数ヶ月は仕事を休み、カウンセリングを受けていました。

エキスポランドの方が見舞いに来ても会うことができなかったそうです。

友人らは電話やメールでお互いを励ましあい何とか職場復帰、職場の方々は事故の話を一切しないなど、かなり気を遣っていたそうです。

現在まで”首が飛んだ”や”ミンチ”の都市伝説

2007年にエキスポランドで起きたジェットコースター事故ですが、現在までにネットで様々な噂や都市伝説が残っています。

よく聞くのは、事故時の小河原良乃さんの状態です。

”頭が丸ごと無くなった”などの嘘の証言が拡散され、現在までにその嘘を信じてる方が多くいます。

”ミンチになった””生首が飛んでるのを見た”という都市伝説が生まれているのです。

現在でもネットで、事故時の頭の状態が分かる写真を検索する方が大勢いるのです。

実際の小河原良乃さんは、鉄柵に頭が挟まり、頭の一部が割れるなどの損傷はあったももの、首が切断するようなことはありませんでした。

小河原良乃の中学時代の写真で報道。ネット上で体重と事故の関連が噂される

エキスポランドでの事故は、事故当日にすぐにテレビメディアでも伝えられました。

事故直後にリアルタイムでネット掲示板で「19歳女性」とだけ報道された際は同情の声ばかりでしたが、その後にメディアが昔の写真を出した途端に「いや、これは」と手の平返し。

実は犠牲者の小河原良乃さんのことを報じる際なぜかメディアは”彼女の中学時代の写真”を使用して報道したのです。

中学生時代の小河原良乃さんは亡くなった当時よりも体重が多く、メディアで中学時代の小河原良乃さんの姿を見た方が「事故と体重が関係あるのでは?」と嫌な憶測を始めたのです。

小河原良乃さんは中学を卒業した後にサイズダウンしており、事故で亡くなった直近まで普通体型でした。

しかし、報道メディアがダイエット前の写真を使ったことで、小河原良乃さんに対して”巨漢”のようなイメージが先行してしまったのです。

実際の小河原良乃さんはぽっちゃり程度で、体重と事故の関連はありません

小河原良乃さんは性格の良い女性。乗り込み時に家族に列を譲る

小河原良乃さんが亡くなった後に、彼女の人格に纏わる素敵なエピソードがたくさん出ています。

事故後には、当日に小河原良乃さんと一緒に並んでいた家族のインタビューで、彼女の優しい一面が伺えました。

父と16歳の娘と12歳の娘と3人でエキスポランドに来場した家族は、父と16歳の娘の2人で並び、事故時間手前に「風神雷神II」に並び、その際に前の列が小河原さんの友人らでした。

小河原さんの友人ら2人で並んでる際、後から小河原さんが合流しました。

小河原さんらは順番待ちのしばらくの間談笑し、その後に男性一家の前に並ぶと悪いと思ったのか、一家に列を譲ったのです。

このため、一家は3人とも1両目に乗車。続いて小河原さんや友人が2両目に乗り込んだのです。

男性は後に 

「あのとき順番を代わらなければ、私たちのだれかが命を落としていた。同じ現場にい
てなぜ私たちが助かったのか。命拾いをしたという思いよりも胸が痛い」

と複雑な胸の内を明かしています。

男性は8日午後に営まれる小河原さんの葬儀に出席しようとも考えたが、「遺族にどう対面していいのかわからない」と見合わせました。

死去後の成人式には友人らと遺影で参加。現在も5月5日に実家に集まり近況報告

事故の直近に友人らとお揃いのデジカメを購入し、死後、そのデジカメの中には友人らと楽しそうにバーベキューや事故の1時間前に友人らと楽しそうに笑う小河原さんの姿があったそうです。

友人らからも人望があった小河原さんは、翌年に出席する予定だった成人式に、友人らのリクエストにより写真という形で一緒に祝ったそうです。

母親は他の兄弟が結婚して子供が産まれている一方で、亡くなった末っ子が生きていれば何人子供を産んでいたのかと想像してしまうそうです。

亡くなった15年以上が経ちますが、現在でも友人たちは彼女が亡くなった5月5日に実家まで手を合わせに来てくれるそうです。

友人らは自分らの近況をノートに書いて、彼女の仏壇に置いて近況報告をしてるそうです。

母は、友人らが”彼女の存在のお陰で同窓会のように集まれる”と言ってくれることが嬉しいそうです。

エキスポランドの跡地。現在は「ららぽーとエキスポシティ」。

エキスポランドは2009年8月から破産管財人により各種施設の撤去工事が進められました。

解体後はJリーグガンバ大阪のホームスタジアムの建設候補地として浮上したり、米映画大手パラマウント・ピクチャーズのテーマパーク建設候補地になるなどしました。

それらの話は進まず、2010年から2011年まで北側約4ヘクタールを農業体験型公園「ファームエキスポ」として、2011年からは園内にあったプールを「万博プールガーデン」としてオープンするなどしました。

2011年に大阪府が跡地利用事業者を公募した結果、教育や異文化交流をテーマとした複合型エンターテインメント施設を三井不動産が目指す形となりました。

そして、2014年から工事が始まり、2015年11月19日に「EXPOCITY」として開業されました。

巨大施設の中には「ららぽーと」、海遊館プロデュースの「NIFREL(ニフレル)」、自然体験型エンターテイメント施設「オービィ大阪」、留学気分で英語を学べる「OSAKA ENGLISH VILLAGE」、「ポケモンEXPOジム」や設備の整った映画館などが入っています。

来場者数は年間1,700万人を超え関西の方にはすでに人気ですが、まだまだ全国区というわけではなさそうです。

現在も慰霊碑が存在する?エキスポシティのどこかに

ジェットコースターの事故後に、破産、解体されたエキスポランド。

跡地が解体され、現在のエキスポシティが建つ前に、亡くなった方に向けた慰霊碑がありました。

廃墟マニアの方がブログなどにアップするなどしており、しばらくは慰霊碑が確認されていました。

しかし、2014年にエキスポシティの工事が始まり、開業されて以降、慰霊碑の存在がネットで語らえることはありません。

基本的に慰霊碑は一度作られると、解体されることはないので、きっと施設のどこかにあるのではないでしょうか?

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