赤井英和の前妻と今嫁の子供は息子2娘3。成城の自宅と離婚した現在

赤井英和さんといえば、過去に”ベストファーザー賞”を受賞したことがある、”良き父”です。

若い頃は関西で有名な不良でしたが、ボクシングを始めるとストイックなアスリートへ変身。

現在までに俳優やタレントとして活躍されており、私生活では妻子を大切にする完璧な男です。

今日は赤井英和さんの嫁さんと子供、結婚生活について書いてみたいと思います。

また、今の嫁と結婚する以前の”昔の家族”についても書いてみたいと思います。

赤井英和の子供は全部で4人。前妻との間に女2で2人目の嫁・佳子との間に男2女1

赤井英和さんの初婚は1984年で、最初の妻・喜美さんとの間に女2人が産まれています。

1993年に現在の嫁・佳子さんと再婚され、その佳子さんとの間に娘が1人、息子が2人産まれています。

1998年に産まれた双子の娘は生後すぐに病気で亡くなっています。

名前 誕生日 立場 母親
不明 不明 長女 前嫁・喜美
沙希(プロレスラー) 1987年1月24日 次女 前嫁・喜美
つかさ(ミスユニバース入賞) 1993年 長女 今嫁・佳子
英五郎(プロボクサー) 1994年9月22 長男 今嫁・佳子
英佳(俳優) 1996年 次男 今嫁・佳子
さくらこ・ももこ 1998年 双子の女の子 今嫁・佳子

赤井英和の最初の嫁・貴美。一般人で仕事はトレーナー・セコンドで離婚後に飲食。破局理由は不倫?

現在の赤井英和さんは、再婚した嫁・佳子さんとの仲の良さが有名で、ベストファーザー賞を受賞したこともあります。

愛妻家でイクメンである赤井さんですが、実はバツイチで初婚の女性との間に2人の娘がいることはあまり語られません

赤井英和さんが最初に結婚したのは1984年で、相手は1歳年下の一般人でした。

1人目の嫁の名前は”貴美”さんです。

当時のボクシングファンなら誰でも知っている、”ボクシング界唯一の女性セコンド”でした。

前妻との出会いは1983年で7月16日で、当時福井のジムに所属していた貴美さんが、ジムのプロモードした試合会場で、たまたま赤井英和さんがサイン会を開いたいのがきっかけでした。

赤井英和さんは貴美さんのことを「素朴で素直な女性だ」と絶賛し、貴美さんも赤井さんのことを「気取らず気さくな方だな」と両者一目惚れだったようです。

知り合ってから毎日電話をし、月に2回は大阪でデートを重ね、出会って1年で結婚しました。

結婚後に試合でKOを喫し意識不明になった際も、貴美さんが側で赤井さんを支えました。

赤井さんの両親と1日3交代で看病に尽くしました。

当時から貴美さんは「ただのアクシデント」と、負けた赤井さんの気持ちも考えたコメントを残すなど、旦那を立てる良い女ぶりでした。

ちょうど妊娠してた頃に赤井さんの事故がありましたが、それでも貴美さんは看病に付き添ったのです。

赤井さんが奇跡の回復、退院を果たしたのは子供の力ではないか?と言われていました。

その後は2人の娘に恵まれました。

赤井英和さんがボクシングを引退し、芸能活動を始めた1990年頃に離婚。

離婚の理由は赤井英和さんの不倫だと噂されています。

離婚後は喜美さんは母の手一つで飲食店で働きながら、娘2人を立派に育てたそうです。

前嫁・貴美との2人の娘の現在。次女・赤井沙希はプロレスで活躍!ずっと父に会えず傷ついていた

赤井英和さんは初婚の嫁・貴美さんとの間に2人の子供が産まれています。

性別は2人とも女の子です。

離婚後に貴美さんが飲食などで働き、シングルマザーとして娘2人を立派に育てました。

長女は現在は一般の仕事をしており、名前は不明です。

次女の沙希さんはモデル活動を経て、現在は女子プロレスラーとして活躍されています。

名前 赤井沙希
生年月日 1987年1月24日
出身地 京都府京都市(生まれは大阪)
血液型 A型
家族 母・喜美。父・英和(3歳の頃に離婚)。姉。
職業 モデル。女優。タレント。プロレスラー。
好きな男性のタイプ ゴリラ顔。考え方が古い人。男らしい人。
学歴 京都府立梅津小学校→中高一貫の私立中学校→成績が悪くエスカレーターではない高校に進学、

沙希さんはメディアでは赤井英和さんの娘だとして取り上げられました。

しかし、実は芸能活動を始めるまでは、ずっと父の赤井英和さんに会えなかったようです。

実質、母の手一つで育ち、大人になるまでに父性を受けたことは一度もありませんでした。

赤井英和の娘という噂と父と会えない日々。”自分は娘じゃないんだ”

今では父・赤井英和さんと良い関係である沙希さん。

しかし、3歳の頃に離婚してからは、長く会うことがなく、沙希さんの中で赤井英和さんは完全に”テレビの中の人”だったそうです。

世間では”2世タレント”、”父の名前を借りて”と思われることが多いようですが、沙希さんの生まれ育った境遇を知ると、彼女本人の力で上り詰めたことがわかります。

沙希さんは母と父が離婚した後は、完全に母子家庭で育ちました。

赤井沙希さん:私、知ってる方もいるかもしれないんですけど、父親が赤井英和で、世の中的には2世タレントって言われてると思うんですけど、私 前妻の子供なんですよ。

で、小っちゃいころには別れてて、母子家庭で育ったんですけど、父親が有名ってこともあって、離婚してても父親のことはテレビで見るっていう中で育ったんですよ。

父親が赤井英和さんだったということは周囲の人も知っていたそうですが、それが負担になっていたようです。

幼稚園の頃に赤井さんが沙希さんの運動会に来たことが会ったそうで、それ以降に周囲に噂が広まり、サインをせがまれるようになったのです。

まあ、田舎なんで、話が噂とかで「赤井英和がお父さんらしいぞ」みたいになって、ウソつけみたいな、私は何もしていないのにウソつき扱いとかされたりしてて、

赤井英和さんにサインを頼むことはできず、”うちにはいない”という、今度は嘘つき扱いをされてしまったのです。

また、赤井英和さんが再婚し、その再婚相手との家庭が素敵な様であることも、辛かったようです。

ある日 父親がテレビに出た時に何かマラソンか何かしてて、「このつらい気持ちは、何で乗り越えられたんですか?」みたいなインタビュー受けてて、まあその時 結婚していて今の家庭があるんで自分の家族・子ども何ちゃんと何ちゃんとみたいな話をした時に、もちろん前妻の娘の名前なんて入ってなくて、それがすごい小っちゃいころながらにショックで、私にとっては、お父さんは一人しかいないけど、お父さんにとっては私は子どもじゃないんだみたいな気持ちがずうっと、それは今でも残っていて。

俳優になってからの赤井英和さんはテレビで家族の話をすることが多かったので、”別の子供の話で自分の話ではない”という現実がキツかったようです。

17歳の頃に幼稚園ぶりの再会。父・赤井の”溝を埋めよう”の言葉に涙

沙希さんは子供の頃から男子よりも背が高く、それがコンプレックスでしたが、学生の頃に冨永愛さんの写真集を見て世界が変わったそうです。

長身を生かして芸能やモデルに仕事を始め、17歳の頃には写真集デビューを果たしました。

赤井英和さんの娘がモデルとして活躍してることは業界でも広がり、写真集が出る17歳の頃に、父・赤井英和さんと再会できたのです。

赤井さんは沙希さんと再会すると開口一番で、

「おっきくなったなあ」

と笑顔で言ってくれたそうです。

そして、

十数年間の溝を、これから埋めていこうな」

と沙希さん言い、沙希さんはその言葉に涙が止まらなかったそうです。

ただ、母と長女は咲希さんと赤井英和さんの関係を複雑な目で見ていたようです。

娘・沙希のプロレス進出を応援したのは父・赤井英和だけ。母は怪我のトラウマで猛反対

10代の頃からモデルとして活躍していた娘・沙希さんですが、2013年に突如プロレスデビューすることを志します。

モデルとしての上京を許可した母ですが、沙希さんがプロレスデビューしたいと話すと猛反対しました。

母は長女を妊娠してる時に、赤井英和さんが試合の事故で植物人間になったトラウマもあって、母は沙希さんに「縁を切る」とまで言っていたそうです。

一方で、父の赤井英和さんは戦いの楽しさを知っていたので、

「アドレナリンが出る感覚を楽しんでほしい」

沙希さんのプロレスデビューを認め、「楽しんで」とまで言ってくれたそうです。

結果的に沙希さんは母の反対を押し切ってプロレスデビューを飾ったのです。

反対していた母も元セコンドだった経歴もあってか、沙希さんがデビュー戦で流血して敗北すると、

「メンチが全然弱い」

あんたは手脚が無駄に長いから、腰が引けてる。部屋にロープを張って、ウィービングの練習をしろ」

とガチなダメ出しをしてきたそうです。

母も実は戦いが好きだということですが、それでも試合が終わったら、無事ですという連絡は必ずしなさい」と言われているそうです。

その後に数年に渡って女子プロレスラーとして忖度ない対等な戦いを続け、2023年11月の試合を最後に引退を発表されました。

元モデルの綺麗な女性が、野生的にリングで駆け回る姿は強烈で、約10年関係者やファンに支えられました。

赤井英和は今嫁・佳子と豪邸で仲良し!離婚説は嘘。双子の娘が亡くなった過去で激変?

赤井英和さんと現在の嫁・佳子さんが出会ったのは、前嫁・喜美さんと離婚してすぐです。

出会った当初、赤井英和さんは31歳で、佳子さんは24歳でした。

名前 佳子
生年月日 1966年2月24日
出身地 青森県八戸市
最終学歴 音楽学校
職業 ピアノ講師
血液型 O型

佳子さんは父は普通の会社員で、母親は幼稚園の先生という一般的な育ちです。

ボクシングにも関心がなく、箱入り娘という状態で赤井英和さんと出会ったのです。

最初、佳子さんは赤井さんが元ボクサーで俳優というのことを知らなかったそうです。

2人は1992年に友人の紹介で都内のホテルで出会いました。

赤井さんは前日に雨で撮影が中止になり、ホテルの部屋にあったビールを全部飲み、そのまま寝ており、佳子さんと友人が部屋に行っても気づかず、ホテルの方に部屋を開けてもらったそうです。

その際に赤井さんは浴衣がはたけ、完全に露出した状態で寝ていたらしいのです。

佳子さんは赤井さんの野生的な部分に魅力を感じ、紹介されてからは佳子さんの方から赤井さんに積極的にアプローチを続け、結婚までに至ったのです。

現在では夫婦共に家族を気遣う理想的なイメージがあり、赤井さんはベストファーザー賞を受賞するなど、良い関係が続いています。

また、独自の価値観の育児なども注目されています。

赤井英和と家族の住む豪邸がすごい!世田谷の高級地で約8億の価格

赤井英和さんと家族が住む豪邸は、世田谷区の高級住宅地・成城にあります。

元々は広尾に自宅を構えていたそうですが、長女の幼稚園入園をきっかけに成城に引っ越したのです。

成城といえば、かつてダウンタウンの浜田雅功さん家族が豪邸を築いていたとして有名な高級地帯ですね!

赤井英和さんの豪邸は300坪の広さを誇り、近所でも有名な御殿です。

赤井英和さんの自宅は14LDKGで、お値段は推定約8億円です。

部屋の内訳はリビング・サブリビング・食堂・赤井さんの部屋・客室・茶室・寝室・衣裳部屋・資料起き部屋などです。

リビングだけでも24畳の広さを誇ります。

犬用にサークルを置いても、これだけ余裕があります。

自宅からは成城の一帯を眺められ、天気の良い日は富士山も見えるそうです。

普段は、メインのリビングよりも勝手の良いサブリビングで過ごすことが多いようです。

玄関は吹き抜けで6畳で、楽器の太鼓が置かれています。

床は全部大理石となっています。

地下は500万かけてプロボクサーの息子の為にトレーニングジムに改造しています。

住み始めて約20年経つ自宅ですが、元々はバブル期に建てられて家だったそうで、不動産屋の方と内見に来た頃は内装も庭もめちゃくちゃでした。

建物の基礎はしっかりしており、ロケーションも広さも理想的だったことからリフォームして住むことに決めたそうです。

内装などのリフォーム費はかなりの金額だったそうです。

また、広い敷地の中に神社があるそうで、ダウンタウンDXで間取りを専門家に見せたところ、稀にお参りやお掃除をしないと厄が来るから注意とのことでした。

双子の娘・ももこ/さくらこ。生後すぐに未熟児で亡くなる

現在の嫁・佳子さんと3人の子供と仲良しの赤井英和さんですが、実は子供はあと”2人”いたはずでした。

実は赤井英和さんは次男の英佳さんが誕生した2年後の1998年に、双子の娘が産まれていたのです。

双子の娘の名前は「ももこ」と「さくらこ」でした。

98年に未熟児として産まれた双子でしたが、2人共に生後亡くなっています。

双子の娘が産まれていたことはリアルタイムでは報道されず、死後10年以上経った後に出演した番組の中で告白しました。

元プロボクサーで俳優の赤井英和(57)が6日、TBS系「結婚したら人生劇変!○○の妻たち」に出演し、双子女児が誕生したものの生後間もない時期に亡くなったことを告白した。

番組では妻の佳子さん(50)が東京都多摩市の墓地に訪れるところに密着。佳子さんは「3人いる子どもの下に双子が。さくらこちゃんとももこちゃんていう女の子」と明かした。「産まれてすぐになくなって…」と苦渋の表情を浮かべた。

双子の”ももこ”ちゃんは生後3日で亡くなり、”さくらこちゃん”は7カ月後に亡くなりました。

番組では嫁の佳子さんが、

「どうしてこんなことになっちゃったんだろう。最後までうまく育てられなかった。だめだな」

と悔やみ、そんな嫁さんを赤井英和さんが”大切にしなきゃ”と学んだことが伝えられました。

赤井英和の2人の息子・英五郎/英佳と娘・つかさの現在。プロボクサーやミスユニバースと多彩

赤井英和さんと現在の嫁・佳子さんとの間には3人の子供がいます。(亡くなった双子を合わせると本当は5人)

3人の子供は全員メディアに顔と名前を露出させており、全員が魅力的な個性を持っています。

佳子さんとの3人の子供の性別は女1男2です。

産まれた順番は、長女・つかさ(93年)、長男・英五郎(94年)、次男・英佳(96年)です。

長女のつかさはミスユニバースで審査員賞。梅澤夏子似の美人!仕事は会社員

赤井英和さん一家が世田谷区の成城に引っ越しきっかけになったのは、長女・つかささんの通う幼稚園が和光学園の系列で近所だった為です。

娘・つかささんは嫁・佳子さんにそっくりな美人で、18歳の頃にはテレビに出演して話題となりました。

学歴に関しては幼稚園から高校まで和光学園の系列に通っていたことがわかっていますが、大学はどこに進学したのかわかりません。

赤井さんの教育方針で海外留学を経験されているので、語学堪能な才女であります。

赤井つかささんは、持ち前の美しさを生かして2017ミス・ユニバース・ジャパン東京大会に出場してます。

2017年のユニバースでは審査員特別賞を受賞しました。

仕事に関してはユニバースに出場した23歳当時で会社員として紹介されていたので、一般企業に就職したと思われます。

2017年当時、ネットでは女性芸人の梅澤夏子さんに似てるとして話題となりました。

現在でも佳子さんのSNSに登場することもあり、相変わらずに美人だと評判です。

長男・英五郎はプロボクサー。アマチュア時代は五輪を目指し短いキャリアで結果を残す

長男・赤井英五郎さんは、赤井英和さんの”英”と、赤井さんの父親・五郎さん(故人)の名前をとってつけたお名前です。

名前 赤井英五郎
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1994年9月22日
学歴 カリフォルニアにあるウィディアカレッジ(2015年5月に日本でボクシングデビューするため休学)
身長 179センチ
体重 77キロ

小学生の頃からハワイに留学し、語学万能であります。

小中学時代はラグビー、高校ではアメリカンフットボールに取り組みました。

現在はプロボクサーとして活躍している英五郎さんですが、ボクシングを始める際には夫婦で大喧嘩になったそうです。

長男の英五郎さんは父の影響で子供の頃から趣味程度でボクシングに触れていたそうですが、高校生になって急に真剣になりたくなり、父に相談していたのです。

双子の姉妹を亡くしたことがトラウマの嫁・佳子さんは、死と隣り合わせの競技に愛息子が関わることを嫌がったそうです。

父の赤井英和さんは長男の決断に歓喜しましたが、佳子さんの怒りは止まらず、夫婦史上最悪の夫婦喧嘩になってしまったのです。

「5時間くらい怒って、その後(赤井が)5時間くらい泣いてました。それでも私怒りが収まらなくて……」

そんな喧嘩を乗り越えて、長男・英五郎さんはロサンゼルスのウィディア大進学後にボクシングを始めました。

父の果たせなかった五輪出場の夢に向けて、激しいトレーニングを開始し、キャリアわずか1年で全日本ボクシング選手権大会に出場

しかし、惜しくも準々決勝で敗退し、五輪への夢は絶たれましたが、父も母も会場で一心同体になり声援を送り、英五郎さんの努力と夢を讃えました

2018年の全日本社会人選手権ミドル級で優勝、アマチュア時代を通しては8勝(4KO)6敗という成績を残し2021年には26歳にしてプロボクサーに転向しました。

所属は帝拳ジムです。

プロデビュー戦では1回TKO負けを喫し、「自分のやりたいことがやれず、本当に一瞬で終わってしまった。」とコメント。

赤井英和さんから「一から練習して頑張って行こう」と、親子で再起を誓いました。

2022年7月にはプロ2戦目で見事に2ラウンドTKOで初勝利を飾りました。

アメリカで生活する次男・英佳。俳優デビューもしていた

次男の英佳さんの名前は、赤井夫妻の名前から1字ずつ取ったのが由来です。

赤井さんの教育方針で、子供たちは学生時代に海外留学するというのがあります。

将来のために英語を身につけ、自然が豊かな環境で育ってほしいという夫婦の教育方針で、つかささんと英五郎君は昨年から米ハワイに留学。現地の全寮制の学校に通っているという。

兄弟たちはそれぞれアメリカに留学しているのですが英佳さんもハワイに留学しています。

留学中は兄の英五郎さんと同じく、アメフトやラクビーを嗜んだようです。

2015年には俳優デビューもしています。

部員紹介の最後は対戦高校のエース役、赤井英佳さん。実は赤井英和さんの息子さんなんです!「初めてのドラマの現場でいろんな役者さんやスタッフさんと関わることが出来てとても貴重な時間を過ごしました。ずっと憧れていた父と共演できて感動です」

将来的に最も芸能界に近いのが、次男の英佳さんなのです!

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