滋賀医科大学生母親殺害事件(しがいかだいがくせいははおやさつがいじけん)とは、2018年に滋賀県で起きた、教育虐待の末に起きた悲しい事件。
31歳の看護学生の桐生のぞみが、56歳の母親に対して、幼少期からの強制的な勉学や将来の押し付けなど、積もり積もった恨みつらみから犯行に及んで�まったという背景があります。
事件が起きるまでの教育虐待の時系列と、現在について書いてみたいと思います。
2018年に滋賀県で起きた娘→母の刺殺事件。桐生のぞみが親に受けた教育虐待が壮絶!
2018年1月19日に、滋賀県守山市の実家で桐生のぞみさんが(事件発覚当時31歳)、同居する母親の桐生しのぶさん(事件当時58歳)を包丁で刺して殺害した事件。
3月10日までに母親の遺体をバラバラに切断し、両手足は燃えるゴミとして出し、胴体部分は丸型ペールに入れて、自宅から約250メートル離れた守山町今浜町の旧野洲川に遺棄。
6月5日に死体遺棄容疑で滋賀県警察に逮捕されるも容疑を否認、同年9月に殺人容疑で再逮捕され大きく報道されました。
逮捕後の報道では、桐生のぞみが、殺害した母親の桐生しのぶさんから、子供の頃から異常な束縛と教育虐待を受けていた事が明らかにされ社会の注目を集めました。
桐生しのぶは高卒母の学歴コンプレックスから医学部進学を強要。幼少期から異常な束縛
桐生のぞみさんは母親の桐生しのぶさんと会社員の父親の間に一人娘として生まれています。
一人っ子として、滋賀県守山市水保町の実家で育ちました。
父親は小学校高学年の頃に仕事の都合で別居、その後は母親と2人きりでこの実家で暮らしていました。
母親は、桐生のぞみに将来は医者になるように求めて、幼少期から通信教材を与えるなどして、本人のキャパを超える勉強量を強要していました。
母親本人は高卒であったことから、学歴コンプレックスが教育虐待を助長していたとの見方がされています。
子供時代ののぞみさんは、自身も手塚治虫の漫画作品「ブラックジャック」に憧れ科医師になる夢を抱いていたようですが、学生になり成績不振や強引な学習から夢もどうでも良くなっていました。
重なる不合格。挫折の果てに看護部進学も大人になった後も束縛は続く
現役での合格に失敗した後も、母はしつこく娘に医学部受験を強要。
結局、その後に9浪し、最後に進学したのは医学部ではなく看護部でした。
娘は大学病院の看護師に内定しましたが、”医者がダメならせめて助産師になれ”という母は看護師になることを酷く責めました。
30代に入っても終わらない束縛に恨み辛みが重なり、31歳になった時に犯行に及んでしまったということです。
母は周囲に「合格した」と嘘をつき9浪させ青春期を奪う
のぞみさんに対する母親のスパルタ教育は常軌を逸していましたが、本人にやる気がない為に成績は伸びず、現役の医学部受験の結果は不合格でした。
母親は、娘が不合格になったことを受け入れられなかった為、親戚には「合格した」と嘘をつき、のぞみさんにも口裏を合わすように命じたのです。
そして娘は浪人となり、何が何でも嘘を現実にしようと青春期丸々を勉強に費やしたのです。
結局、9浪した果てに進学したのは医学部ではなく看護部でした。
医者を諦めて9浪の果てに看護師になる。大人になっても母親の束縛が激しく恨み辛みを買う
桐生のぞみの学歴。出身高校は「光泉高」「膳所高」「守山高」「彦根東高」が候補。滋賀医科大学医学部看護学科卒業
2018年に壮絶な事件を起こしてしまった桐生のぞみさん。
教育虐待を受け続け、最終的には滋賀医科大学医学部看護学科に進学し、その後に卒業。
31歳の逮捕当時は滋賀医科大付属病院に勤める看護師でした。
名前 | 桐生のぞみ |
生年月日 | 1987年 |
最終学歴 | 滋賀医科大学医学部看護学科卒業 |
職業 | 滋賀医科大付属病院 |
住所 | 滋賀県草津市笠山7 |
出身大学と就職した病院の情報は多く出回っていますが、出身高校などは憶測ばかりで確かな情報がありません。
桐生のぞみの出身高校は公立の進学校の可能性大
桐生しのぶの出身高校は現在のところわかっていません。
しかし、教育虐待の背景に、母親から「県内の公立校を経て国公立の医学部に行くのがエリートコース」と言い聞かされていたことから、滋賀県内の公立高校の出身である可能性が高いです。
勉強自体は普通の子よりも優勝だった事から、公立高校の中でも偏差値の高い高校に進学していたことが想像できます。
そうすると、出身高校の候補として、
・「滋賀県立膳所高校」(偏差値72〜76)
・「滋賀県立守山高校」(偏差値68)
・「滋賀県立彦根東高校」(偏差値68)
↑この辺りの高校が有力です。
守山高校は近所のため、可能性は特に高そうです。
ちなみに守山高校はGACKTさんの母校として有名ですね!
出身大学は滋賀医科大学医学部看護学科
桐生のぞみは高校卒業後は実家から通える国公立の医学部保健学科を目指して受験を続けてきました。
しかし、9年間の浪人生活を送った後に医学部への進学は諦めています。
母親からの医者が無理ならば助産師になれという要望に従う形で、国立の「滋賀医科大学」の医学部看護学科を受験し合格。
ちなみに滋賀医科大学医学部看護学科の偏差値は「53」で、同学部医学科の偏差値は「65」でした。
教育虐待が続いた背景。母は「合格した」と嘘をつき9浪。父とは仕事の都合で別居
のぞみさんに対する母親のスパルタ教育は常軌を逸していましたが、本人にやる気がない為に成績は伸びず、現役の医学部受験の結果は不合格でした。
母親は、娘が不合格になったことを受け入れられなかった為、親戚には「合格した」と嘘をつき、のぞみさんにも口裏を合わすように命じたのです。
そして娘は浪人となり、何が何でも嘘を現実にしようと青春期丸々を勉強に費やしたのです。
浪人になって以降、母親は娘への束縛を異常に強め、常に監視できるようにするためか一緒に入浴するように求め、持っていた携帯電話も取り上げています。
何度も家出未遂。携帯を没収しお風呂も監視される。父は別居状態で問題に気づかず
娘は母親の過剰な束縛から逃れようと、就職も考えたようですが、未成年だった事もあって実現しませんでした。
父親はメンテナンス関係の会社に務め、仕事の都合で妻子とは別居状態で、母親の問題から助けることができませんでした。
昼夜を問わずメンテナンス関係の仕事をしていた会社員の父は、小学校高学年の頃に社員寮に別居。それ以来、のぞみ被告は母と2人暮らしだった。
3度家出を試みていますが、母親は探偵を雇い、警察にも捜索願いを出し、その度に桐生のぞみさんは実家へと連れ戻されています。
結局、9浪した果てに進学したのは医学部ではなく看護部でした。
桐生のぞみの事件までの時系列。医者になれ→9浪→助産師になれ→看護師の就職蹴れ
桐生のぞみさんが2018年1月19日に起こした事件の詳細は狂気的です。
母にマッサージをしてあげると眠らせる→隠していた刃物で首の左側を刺す→母親が「痛い」と言った事が恐くなり、さらに1、2回首を刺す→自身のTwitterに「モンスターを倒した。これで一安心だ。」とツイート。
殺害後、母親の横で、テレビ朝日系ドラマ「BG~身辺警護人~」を鑑賞し、母親に毛布をかけ、そのまま就寝。
その後にノコギリでバラバラに切断し、両手足は燃えるゴミ、残りは丸型ペールに入れて河川敷に運び遺棄。
一体、どのような恨みつらみがあって、このような心のない犯行に及べるのか?
実際に桐生のぞみさんが幼少期から31歳までに受けた教育虐待の実態を整理してみると、納得できる点もあります。
〜2014年 | 医者になることを望む母の為に医学部を9浪。 |
2014年 | 滋賀医科大学医学部看護学科へ入学。母は医師がダメなら助産師になれと命令。 |
2015年 | 大学2年の頃に助産師課程への進級試験に不合格。母に罵倒される。 |
2015年〜2017年 | 娘は看護を学ぶうちに「手術室看護師」になりたいと考えるようになる。 |
2017年夏 | 滋賀医科大学の附属病院に看護師の内定をもらうも母は猛反対。就職を蹴って助産師学校進学の誓約書書かせる。 |
2017年12月 | 隠し持っていたスマホを没収され、土下座写真を撮られ、叩き壊される。 |
2018年1月 | 助産師学校受験も不合格。再度、母に看護師への就職を訴えるも拒否。 |
2018年年1月19日 | 事件が起こる |
母は「医師がダメならば助産師になれ」。大学入学後に助産師課程への進級試験に不合格
医学部に受かることのできなかった娘に対して、母親は「医師がダメならば助産師になれ」と命令していました。
9年間浪人して2014年に滋賀医科大学医学部看護学科へ入学。
母親は助産師課程を望みましたが、娘は大学2年の終わりの助産師課程への進級試験に不合格、この際に母親に罵倒され、この頃から殺意が萌芽したとされます。
助産師課程進級失敗の後から、一時は収まっていた母親の束縛が再び始まったのです。
娘が望んだ看護師に内定。母は就職を蹴って助産師学校進学を約束させる
桐生のぞみさんは滋賀医科大学で看護について学ぶうちに「手術室看護師」に興味を持ち、看護師の道へと進みたいと思うようになっていました。
2017年の大学4年の夏、桐生のぞみさんは滋賀医科大学の附属病院に看護師の内定を得ました。
しかし、助産師になることを望む母は娘が看護師になることを許しませんでした。
母親は娘に内定を辞退し、改めて助産師学校へと進学するように求めました。
この時、母は就職を辞退し助産師学校へと進学する事を約束する誓約書まで桐生のぞみに書かせました。
隠し持っていたスマホを叩き壊す。助産師学校再入学の受験失敗後も看護師への就職反対
2017年12月に母は娘が自分に内緒でスマートフォンを隠し持っていた事に気がつき激怒。
娘を自宅の庭に土下座させてその様子を撮影。
そして、取り上げたスマートフォンを叩きつけて破壊。
その後、母親は所有を許可していた桐生のぞみのもう1つの携帯電話宛に「ウザい!死んでくれ!」などと記したショートメールを送りつけました。
年を超えた2018年1月、桐生のぞみは母親の希望の通り助産師学校を受験するも不合格。
助産師学校を不合格になった際、桐生のぞみさんは母に「看護師として就職したい」と母親に伝えます。
看護師への就職を望む娘に対して母親は激怒し、
「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」
などと罵倒しています。
この直後に桐生のぞみさんは、母親を殺害を決意し、ネットで刃物を使っての方法を検索。
そして、ついに不合格の2日後の19日に母親を殺害するに至ったのでした。
桐生のぞみの現在。実刑10年「母に敷かれていたレールを歩み続けていたが、自分の人生を歩んでください」。同情の声多数
重い罪を背負った桐生のぞみさんですが、事件発覚当時からはネット上などで彼女に同情する声が多くありました。
過激な教育虐待を30歳を過ぎた後も受け続けたこと、若い頃の楽しい時間や、30代前半までの婚期を奪われたこと。
彼女の人生がどこにもないことにショックを受ける人が多くいるのです。
壮絶な教育虐待を受けていた背景は裁判にも大いに影響を与えました。
殺人罪成立を認め「懲役15年」の実刑判決も10年に減刑。同情の余地が認められる
桐生のぞみさんは、母親・桐生しのぶさんに対する殺人、死体損壊、死体遺棄の罪で裁判を受けました。
第一審では「母親は包丁で自ら首を切りつけて自殺した」と主張し、死体損壊と死体遺棄については認めつつも、「私は母親を殺していません」と、殺人罪については起訴内容を否認。
弁護側は、”母親からの長年の教育虐待により心神喪失か心神耗弱の状態にあった”と主張し、無罪、または執行猶予付きの判決を求めました。
2020年3月の大津地方裁判所では、母親の殺害後に犯行を隠蔽しようとしていた事などから完全責任能力があったとし、解剖医の証言などを根拠に自殺の可能性はないと殺人罪成立を認め、「懲役15年」の実刑判決を言い渡しました。
この実刑15年の判決時に裁判長は、母親から行き過ぎた干渉を受け追い詰められていたとして、犯行には同情の余地があると結論付け、
「母に敷かれていたレールを歩み続けていたが、自分の人生を歩んでください」
との説論を行っています。
この裁判長の説論が桐生のぞみの心を動かしたのか、判決後に桐生のぞみさんは母親を殺害した事を控訴審で認めると弁護士に話しています。
その後、控訴審は大阪高裁で開かれ、2021年1月に一審判決から大幅に減刑された「懲役10年」の判決が下されました。
大阪拘置所で出会った子持ち受刑者と会話し冷静に自分を見つめ直す
桐生のぞみさんは刑が確定するまでは、大阪拘置所に拘置されていました。
大阪拘置所では、桐生のぞみは母親と同年代の子持ちの被告人らと8人の雑居房に入れられていたようです。
雑居房でこの人々と交流したことで、
「私の母親がどんな風に私を思っていたのかを考えるようになった」
「母親の苦しみや焦燥をもう少しちゃんとわかればよかった」
「自分のしたことを後悔している」
と、面会者と話していており、自分の罪に対して後悔があることが明らかになっています。
懲役10年の実刑判決が確定した桐生のぞみさんは、現在は服役中です。
現在、どこの刑務所に収監されているのかや、どのような様子で服役しているのかなどは情報が出ておらず不明です。
裁判で説論後に罪を認めたり、拘置所で母と同年代の子持ちと話し後悔するなど、桐生のぞみさんの根がいかに真面目で素直であることが想像できます。
きっと、刑務所では模範囚として頑張っていることでしょう。