2008年に起きた”岡山地底湖行方不明事故”。
大学生の探検部が地底を巡り、複数人いる内の1人だけが地底の中に取り残され、その1人が最後まで発見されなかったという悲惨な事故です。
事故のことを検索すると、ウィキやニュースサイトなど公式な場所では「岡山地底湖行方不明”事故”」と書かれていますが、多くのサイトでは「岡山地底湖行方不明”事件”」と、”事故”が”事件”に書き直され書かれています。
なぜ、この事故が”事件”だと見立てられているのか?
その理由について書いてみたいと思います。
当時の事故の状況や報道についても整理し、現在までにネットで都市伝説となっている内容についても掘り下げてみたいと思います。
岡山地底湖行方不明事件とは?2008年1月に高知大学3年探検部の名倉祐樹さんが行方不明
現在もネット上で闇が深い事件として語り継がれている”岡山地底湖行方不明事件”。
この事件が起きたのは2008年1月5日。
岡山県新見市にある鍾乳洞「日咩坂鐘乳穴(ひめさかたちあな)」に訪問していた学生グループの内の1人が行方不明になった事件です。
中四国の学生ケイバーを中心として開催されていたケイビング合同合宿での出来事でした。
行方不明になったのは高知大学3年探検部の名倉祐樹さんでした。
事故当時、テレビメディアでも最奥部の地底湖で、21歳の大学生が行方不明になった事故として報じられていました。
行方不明場所はベテラン救急隊員にとって「3本指に入る難所」だった
2008年1月5日午後6時15分頃に、警察に高知大学学術探検サークルのメンバーから「地底湖でひとりが溺れた」と通報があったことで捜索が始まりました。
サークルメンバー5人で午前11時半頃から探検に向かい、2時頃半に名倉祐樹さんが鍾乳洞奥の地底湖で泳いでいた最中に急に姿が見えなくなったということでした。
救急隊が到着すると、30人体制で捜索を開始しました。
しかし、鍾乳洞は奥行1600メートル、高さ15メートル、幅7メートルの洞窟で、途中には人一人がやっと通れる隙間や、首あたりまで水につかる難所があり、捜索は困難を極めました。
鍾乳洞内部の地形に詳しい高知大学の探検サークルOBも救助に協力しました。
鍾乳洞の奥は光が届かないため、ライトを持って救助活動は夜を徹して行われました。
救急隊は救出した際に食料として与えるビスケットを胸ポケットに入れてましたが、すぐに粉々になるほど進行が厳しかったようです。
隊員の二次被害が不安視される中でも懸命の救助が続けられましたが、5日間におよぶ捜索で名倉祐樹さんは結局見つからず、結局10日に搜索が打ち切られました。
名倉祐樹さんの救助活動に当たった岡山県警機動隊の田村吉永警部補は、
「16年のキャリアの中でも3本指に入る大変さだった」
と語っています。
救助隊の指揮を執った秋山吉由副隊長は隊員らの勇気に敬意を表しながらも、
「学生を見つけられなくて無念」
と最後にコメントしています。
名倉さんは地底湖の奥の壁に「タッチ」と言った後戻らず。支流に吸い込まれる急流が発生した可能性
高知大学探検サークルでは「日咩坂鍾乳穴 」奥の地底湖で飲み会をして、お酒にまつわる危険行為をすることが伝統行事となっていました。
過去に裸で泳いだり、クリスマスにバケツリレーでケーキを食べたりという行為があったそうです。
伝統の1つとして、部員が地底湖の奥の壁まで泳いで「タッチ」と言って戻ってくるという危険な行為もありました。
事故のあった日は、名倉さんがその危険な伝統を担い、帰らぬ人となったのです。
名倉祐樹さんは衣服を着たまま地底湖で泳いでいたそうです。
メンバーは名倉祐樹さんが地底湖の奥の壁に「タッチ」と叫んだところまでは声が聞こえたが、その後に声と姿が見えなくなったと証言しています。
仮に溺れたのであれば「助けて!」と叫び声が聞こえるはずですが、メンバーらは「助けて」の声は聞いていないそうです。
「助けて」と声を上げる余裕もなかったことから、突然急流に巻き込まれた可能性が考えられます。
支流の穴が水面下に空いるので、名倉祐樹さんが到達した場所に支流に吸い込まれる急流が発生して巻き込まれてしまったということが考えられるのです。
現在もネット上で”きな臭い”と言われ都市伝説が生まれる事件
岡山県新見市の鍾乳洞「日咩坂鐘乳穴(ひめさかたちあな)」で、鍾乳洞内の地底湖で遊泳中に行方不明になった事故。
その後も行方不明になった名倉さんは見つかっておらず、多くが洞窟内で亡くなっているとの見方です。
”事故”として処理されているのに、ネット上では岡山地底湖行方不明”事件”と名付けられています。
この事故を巡っては、当時から匿名掲示板を中心に様々な事件性が訴えられ、同行した学生たちについてのあらゆら噂が飛び交いました。
その理由には、操作が打ち切られた10日ほど後から、部長・白米美帆さんと副部長・伊藤智子さんの不可解な言動や、事故後のSNSなどでの動きから来ています。
”何か隠してる”
”きなくさい”
と、現在までに彼らの名前がネット上で踊っています。
部長・白米美帆さんと副部長・伊藤智子の当時の動きから事件性が疑われる。彼女らの現在
ネット上で事件性が疑われる名倉さんの行方不明事故。
当時からネット上では”事故ではなく事件なのでは?”というような噂がありました。
その理由については、当時からネット上で散々書かれています。
名倉さんが所属していたサークルの部長と部長の個人名まで持ち出され、現在までにネット各所で都市伝説として語り継がれています。
名倉さんの失踪が事故ではなく、事件だと憶測される理由について整理してみます。
・メンバーは入洞届を提出してない
・泳がされたのは5人いる中で名倉さんの1人だけ
・誰も名倉さんが溺れるところを誰も目撃してない
・メンバーの事故時の状況説明がコロコロ変わる
・名倉さんの救助活動を行わず現場に誰も残さないまま全員帰ってきた
・事故後に「探検に必要な装備は備わっていた」と強調
・遭難事故では隊長が記者会見するのが一般的だが、逃げ回って記者会見をしないかった。
・事故後に探検部のページから「部長 白米美帆」「副部長 伊藤智子」の名前が削除される
・マスコミが部員に全く取材を行わない
・名倉さんの知人を名乗る人物が高知大学のリモートホストから2ちゃんに削除依頼
・何者かが名倉さんのmixiに勝手にログインしてプロフィール・日記・友達(マイミク)を都合良く編集。
特に、入洞届を出していないこと、衣服を着て泳いでいたこと、救出作業せずにすぐに他メンバーが脱出してワイヤーを取り外していたことが不審だと思われています。
メンバーの誰もがニュースメディアの取材に応じず、さらには入洞した人数が3人になったり4人になったり5人になったりと二転、三転。
捜査が終わった後には探検部のホームページや、メンバーのSNSでも余計な動きがあったりと”何か隠してる?”と疑われているのです。
”計画的に陥れた”と言う都市伝説が生まれてしまっているのは上記の点が原因です。
部長”白米美帆”と副部長”伊藤智子”のSNS上での動き。マイミク削除や再登録を繰り返す
事故の捜査が終わった後、事故を起こした探検部サークルのホームページから部長の”白米美帆”さんと副部長の”伊藤智子”さんの名前が削除されました。
「なんで部長と副部長の名前だけ削除されたんだ?」と不審に思う声が多くありました。
ほぼ同時期(捜査が打ち切られた後)に、当時流行っていたSNS「mixi」に、名倉祐樹さんのプロフィールが発見され匿名掲示板の中で注目されました。
すぐに名倉祐樹さんのマイミクシィなどから情報を辿り、名前を削除した部長・白米美帆さんのプロフィールまで特定されました。
白米さんのミクシィのニックネームは「はくさん」となっていましたが、搜索が打ち切られた直後から「うすた」に変更されました。
掲示板で名倉さんのアカウントが話題になった後に、変更したと思われます。
また、何者かが名倉祐樹さんのmixiのIDとパスワードでログインし、名倉祐樹さんのプロフィールを変更しました。
ニックネームは「クラさん」から「ホワイト」に変わり、日記から詳細までの全てが非公開になったのです。
その後に名倉さんのミクシィから白米さんのマイミクが外され、それが掲示板で話題になると、直後にマイミクが追加され直すなど不審な動きがありました。
多くが、”白米さんが名倉さんのアカウントにログインし、そのような操作をしたのでは?”と憶測しています。
探検部サークルは素行が悪かった?お酒を飲んで入洞や痴話騒ぎ
行方不明になった名倉さんや、部長だった白米さんのミクシィのプロフィールの趣味には「酒」が書かれていました。
日記内容にも真剣に探検に向き合っているような記述はありませんでした。
事故後に発見された探検部メンバーのブログには、クリスマスイブに入口からリレーして洞窟奥に持ってきたケーキを食べたと書いてたりと、素行が悪かったことが伺えます。
お酒を飲んで入洞したり、男女で裸で泳いだりと、マナーはかなり悪かったようです。
当時、サークルをよく知る人は、”ほぼ○リサー”だったと発言していました。
これらの素行の悪さからも、当時から恋愛事情のもつれなどで揉めてたのでは?と、メンバー内の対人関係の悪化からの事件性が疑われたのです。
白米美帆は現在「人形劇団京芸」に在籍?伊藤智子は不明
事故後に色々な陰謀説が疑われ、特に探検部の部長だった白米美帆さんは注目され続けました。
現在になったも、ネットではと伊藤智子さんについて詳細を知りたがる方が多くいます。
白米美帆さんに関しては、現在までに京都の劇団「人形劇団京芸」に所属していることが分かっています。
「人形劇団京芸」のホームページの「団員日誌」に白米美帆さんという同姓同名の女性が在籍していたようです。
その同姓同名の女性は趣味の項目に「洞窟探検」とあり、彼女だと疑われました。
発見者が問合わせたところ即座にその情報が載っていた記事は削除され、コメント機能も閉鎖されてました。
これらの動きから、同姓同名の女性は、当時の部長だった可能性が非常に高いとされています。
なお、伊藤智子さんの現在の所在は不明となっています。