浜田の母校/日生学園のスパルタ期。現在と過去の事件まとめ。事故死は嘘?

浜田雅功さんといえば、学生時代に全寮制の厳しい高校に通っていたことで知られてます。

相方の松本人志さんには”刑務所のような高校に通ってた”と、日生学園時代の浜田さんの脱走に協力して、ご飯を与えたことをネタにされていました。

ある番組では、浜田さんへのドッキリとして日生学園時代の先生が登場し、”あの浜田さん”が子供のように怯えていたという一幕もありました。

浜田さんが披露すると学生時代のエピソードは基本的にライトな内容で、実際はもっとひどい生活をされていたそうです。

今日は、ダウンタウンの浜田雅功さんの出身高校である三重県・日生学園第二高等学校について書いてみたいと思います。

日生学園第二高校のスパルタ時代の規則。創立者・青田強の教育方針と出身者

日生学園第二高校は、軍隊式を取り入れたスパルタ教育で有名でした。

現在は名前も変わり、学習内容や校則も変わっています。

過去の名称 日生学園第二高等学校
国公私立の別 私立高校
設置者 学校法人日生学園。青田強。
設立日 1980年
共学 男女共学(寮は男女別)
課程 全日制課程
単位制・学年割 学年割
設置学科 普通科
学科内専門コース 特進S。特進。進学。
学期 3学期生
学校所在地 〒515-2692 三重県津市白山町八対野2739
有名な出身者 浜田雅功(芸人)。今田耕司(芸人)。鮫島秀旗(プロ野球選手)。千葉和彦(プロサッカー選手)。尾崎瑛一郎(プロサッカー選手)。山口賢一(ボクサー)。日向まこ(女優)。

日生第二学園の創立者は青田強さんという人物で、亡き後は息子の青田進さんが信念を受け継ぎました。

創立者の青田強さんは「一流の人間を育てる」とし、過去には「青田強全集」という10巻からなる著書を書いています。

青田強さんは若い頃から軍国主義を体験し、その影響で私欲を捨て去り公に尽くすという考え方を信念にしたとされています。

”何事も全力”をモットーに、底抜けに明るい人材を育てるのが目的とされていました。

当時は高度経済成長期のバブルに沸いた時代で、それを下支えしてきた「モーレツ社員」「企業戦士」と呼ばれたような企業に献身的な社会人を育てることに重きを置いていたのではないか?と推測されています。

日生第二学園時代の厳しい校則と規則。全力体操、素手でトイレ掃除、マラソン登校など

軍のノリを高校生活にそのまま持ち込んでいた日生学園。

当時の学校の校則は、どれもドン引きするぐらいに厳しかったです。

まず有名なのは”全力体操”です。

過去に浜田さんがテレビで全力体操を再現した際、スタジオはドン引きでした。

「俺がやってたのは全力体操いうて」と、ついにかつて伝説のスパルタといわれた母校・日生学園第二高校のネタを繰り出した。  それは何かと質問が集まると、浜田は両足を開いて、腰をかがめて、股下から重荷を持ち上げるように両腕を持ち上げ「ヴアアアァァァ」とうめき声をあげ、スタジオは爆笑。

全力体操は、朝起きて登校してすぐに行われたルーティンでした。

起床時間が決まっていて水曜日と休日の日曜日以外は早朝の4時に起床です。

早朝4時に起床し食後に集団で声出しをしながら走って登校する姿も凄まじいです。

女子も容赦無く、同じように走って集団登校です。

昔の生徒の映像を見てる限り、みんな痩せていて太っている子が一人もいません。

晨行(しんぎょう)”と呼ばれる、早朝に全力で床やテーブルを磨く風習もありました。

心行は各部屋10分間・各階の廊下等を10分間おこなった後に全生徒が体育館に集まり約1時間もの時間をかけて心行をおこないます。

意味としては”雑念を取り払い自己の集中心を養う”という目的があったそうです。

全員が裸で大声で「ごし、ごし」と叫び、頭を揺らして行っています。

素手で便器を磨く光景はネットでよくネタにされています。

体育館に大勢の生徒が集まって、集団で大声で床磨きをしてる光景も圧巻です。

朝だけでなく、下校して寮に到着すると点呼が終わった後にも、素早くジャージに着替えて朝と同様に心行を行っていました。

常に”全力、何事にも一生県警に取り組むと言うのが学園の信念なので、しっかりやらない生徒は先生や先輩から容赦ない指導が入るそうです。

野球部は甲子園に出場。多くのプロアスリートを輩出

日生学園第二高校はスパルタだけあって、スポーツの強豪でもありました。

野球部は三重県を代表して甲子園に出場したことがあり、県内では常にベスト8位以内の実力で、プロ野球選手も輩出しています。

サッカー部も選手権に出場したことがあり、過去に2人のプロサッカー選手を輩出しています。

日生学園で過去に起きた事件・事故。脱走は当たり前で自殺者も?

スパルタ教育で有名であった日生学園ですが、そのあまりの厳しさ故に多くの事件や事故が起きています。

先輩からのしごきが多く、大きな怪我を負う生徒もいたそうです。

1985年には第二高等学校の教師が惨状を内部告発し、生徒だけでなく、教師までもが暴行やリンチに関わっていたことが分かっています。

1980年代には国会答弁で話題に上がるほど問題なっていました。

当時の東海・関西圏で親が悪いことをした子供を叱る際に「悪いことをしたら日生学園に入学させるぞ!」というのが定番になるほどでした。

日生学園で不審死や自殺が多発し国勢調査・行政指導が行われた

日生学園では数年に一回程度自殺が起こっていました。

当時、自殺の理由は明らかにされていませんが、学園内では頻繁に先輩や教師からの暴力・リンチが発生していたということで、学園生活に絶望し、精神的に参った末に死を選んだと想像できます。

いじめやしごきも凄まじく、発覚していた内容を抜粋すると、

肩パンや平手うちは当たり前

・パイプ椅子で殴られる

・ホッチキスで刺される

一晩中正座を命令される

・冬場に水攻め

ほうきを膝の裏に挟んで正座させられ上に乗られる。

などがあります。

全盛期の教頭先生は、怒りが爆発するとベルトを引き抜き、金属製のバックルを頭目掛けて叩きつけたそうで、出血しているにも関わらずハンカチなどで押さえることも許されなかったそうです。

不審死として有名なのが、夜中に生徒が食堂に忍び込み食堂の出入り口に設置されていたシャッターに首を挟まれ圧死してしまった事です。

亡くなった生徒はヤンチャをするタイプではなく大人しい真面目な生徒で、当時から”いじめではないのか?”との憶測が囁かれていました。

本当にいじめだったとしたら、命令されて忍び込んだ末の事故、もしくはシャッターを使って攻撃をされた・・・などが考えられますね。

その他の日生学園の伝説。カンニングOK、甘い物の密輸、買い物許可制、教師へもスパルタ。

さまざまな事件があった日生学園ですが、あまり知られていない部分もあります。(もちろん厳しい意味で)

生徒たちがスパルタなのは周知の承知ですが、実は勤めてる先生たちもスパルタで扱われており、生徒たちよりも1時間早い3時に震行を行っていたり、遅刻をすると教頭から激しい指導が入ったそうです。

また、学園のテストでは生徒たちのカンニングが黙認されており、その理由は生徒の点数が悪いと先生たちが怖い目に遭うからだったそうです。

机から足が出てはいけない、下着は学園指定の色のみ(白)、男子は坊主で女子はショート、買い物は購買部を通して必要な”学校生活に必要な物”のみ、雨の日に傘・カッパは禁止などもあります。

生徒は世間から隔離されていたため世間を「山の下の世界」という意味も込めて「下界」と言っていたそうです。

甘い物が禁止されていたそうですが、親に仕送りをしてもらう際に、枕の中などに砂糖などを隠してもらい密輸していたそうです。

今田耕司さんがテレビで”先輩の枕が大きい理由は砂糖を隠してるから”と語っていたことがありました。

浜田雅功の日生学園第二高校在学時代のエピソード。男前の先輩に愛され強いポジションを獲得

日生学園出身者として有名な浜田雅功さんですが、過去にテレビ番組で幾度も高校時代の辛い逸話を話しています。

自分の番組に日生学園の先生がドッキリで登場した際は、かなりビビっていました。

過去に浜田さんがテレビで話した日生学園のエピソードとしては、

・何度も脱走を試みるも失敗した話。

・脱走した際に松本に迎えに来させてご飯を奢ってもらった話。

・月に一度の散髪で使う床に敷く新聞紙が情報源だった話。(遠足も修学旅行もなく外部との接触が一切禁止されていた)

などが有名です。

しかし、浜田さんが入学した時は学校が創立して2年目で先輩は1学年しかおらず、比較的にやりやすい環境だったそうです。

浜田さんは先輩の学年の中でも花形の先輩に気に入られ、その先輩と仲が良かったと言うことで、先輩からの理不尽が”少なめ”に済んだとか。

浜田さんは在校時に「副学寮長」なる役職を務め、最終的には無事卒業しています。

今田耕司も実は出身者。何度も脱獄を試みて戻され退学

浜田雅功さんの芸人の後輩である今田耕司さんも、日生学園に在学されていました。

今田耕司さんの最終学歴は「清風高等学校定時制課程普通科ですが、実は清風高等学校定時制に入る前、浜田さんの2年後輩として日生学園に在籍し中退しています。

今田さんは先生や先輩からの厳しい指導に耐えきれず、2度も脱走を図っています。

1度目は失敗。

2度目は、消灯後に寮のトイレの窓から脱走し、最寄り駅から電車に乗ると脱走が即バレてしまうため、なんと山を2つ越えた先の駅で電車に乗り、大阪の実家にたどり着いたそうです。

真っ暗な山道を、一か八かで飛び込んだり、まるで映画のような脱走劇だったそうです。

脱走がバレて学校に戻された際は、母親が呼び出され、先生が母に「息子がやめない(学校を)と言うまで殴ります」と宣言し、今田さんが懲りるまで平手打ちされたそうです。

現在の日生学園は普通の平和な私立高校。青山高校に改名し男女共学

昔はいろんなことがあった日生学園第二高等学校ですが、現在は名前を「青山高等学校」に改名し、現代にマッチした校則に変わっています。

男女共学になり、以前と違って一緒に下校などが許される、普通の高校となっています。

 

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