元ヤン芸人として知られるバッドボーイズの佐田正樹さん。
佐田正樹さんは学生時代に暴走族の総長を務めたことがあるなど、筋金入りの元ヤンです。
実際の佐田さんの不良時代の写真と、逸話について色々書いてみたいと思います。
また、現在の嫁さんである「恭子」さんとの、素敵なエピソードについても書いてみます。
佐田正樹(バッドボーイズ)は嫁・恭子も元ヤン。馴れ初めと公開プロポーズ
佐田正樹さんが結婚したのは2007年4月15日です。
結婚した相手は一般人の女性です。
名前は「恭子」で、とてもカッコ良くて綺麗な女性です。
佐田正樹さんと嫁・恭子さんの馴れ初めは学生時代です。
実は、恭子さんと佐田さんは同じ高校の同級生(福岡第一高等学校)で、佐田さんが一目惚れして猛アプローチをかけたのがきっかけです。
ちなみに恭子さんは佐田さんと同じ高校に通っていただけあって、元不良です。
暴走族には在籍していなかったそうですが、若い頃にやることやってたそうです。
高校時代から11年の交際を経て、結婚に至ったということです。
プロポーズは「スイッチ」という番組の中で、公開プロポーズという形でした。
佐田正樹と恭子に子供はいない。結婚生活も厳つい?
2007年に結婚した佐田正樹さんと恭子さんですが、現在までに子供が生まれたという報道はありません。
仮に子供がいたとしたら、かなり厳つい子に育ちそうですね。
名前もきっと、キラキラネームになりそうです。
子供こそいませんが、佐田正樹さんと嫁さんの結婚生活はかなり楽しそうです。
過去に佐田さんが司会を務める番組「AKBINGO」に嫁さんが登場。
嬉しそうに佐田さんの頭にバリカンを入れて坊主にしていました。
ニコニコ笑ってて可愛かったですね!
ちなみに佐田正樹さんは既婚者とは思えないほど、結婚後も自分の趣味に没頭しています。
DIYにハマった結果、「佐田工務店(sataworks)」を設立しプロ並みに活動していたり、
旧車を乗り回してたりと、独身時代と変わらず”男の趣味に忙しい”生活を送っています。
自分のロマンを側で支えてくれるのは、今の嫁の恭子さんしかいないでしょうね!
しかし、育児に入りにくそうな環境ではあります。
佐田正樹の若い頃の伝説。高校で福岡連合の総長。中学でタトゥー
佐田正樹さんが元暴走族の総長というのは有名ですね!
元々はいじめられっ子だったらしいのですが、父が佐田正樹さんを角刈り、剃り込みスタイルに仕上げ、を柔道教室に通わせ、小2年にして『ビーバップハイスクール』を渡されヤンキーの英才教育を受けさせたそうです。
2年の頃にいじめてきた相手は、3年の頃にきっちり仕返し、それから佐田正樹さんのヤンキー人生が始まったのです。
ちなみに佐田さんは小学6年の頃にパンクブーブーの黒瀬純さんの弟と喧嘩し、その後に兄の黒瀬純さん(3歳年上)にグランドに呼び出され、タイヤ遊具の上に立ちながら「うちの弟をボコボコにしたとは何事だ」と説教されたというエピソードがあります。
その後に黒瀬さんと意気投合し、ふたりは「幻影」という暴走族に入ったのです。
佐田正樹の伝説。中学2年生でタトゥー、中3で番長
佐田正樹さんのヤンキー時代の伝説はネット界隈でも有名です。
小学生の頃から年上相手に敵意剥き出しだった佐田正樹さんですが、中学生になると時計屋さんのショーウインドウを割り、時計を盗みそのまま質屋に持って行ったためバレてしまったり、中2で刺青を掘ったり、悪の方向性がヒートアップしていきます。
中学3年で学校の番長となり、その地域では敵なし状態になっていたそうです。
佐田正樹は高校1年で上級生を圧倒。高校2年で福岡連合の総長
高校は福岡第一高等学校に進学しました。
高校1年の頃に2年の先輩にガンを飛ばしてしまい、先輩5~6人にトイレに連れていかれボコボコにされたそうですが、トイレの物置からモップを取り先輩に攻撃をすると、先輩は倒れ、そのまま停学処分になりました。
佐田さんが原因で1年と2年で大戦争になり、体育館で約30で大乱闘を起こし、まさかの1年が勝利。
佐田さんは1年にして学校内のヤンキー誰もが知る存在となったのです。
高校2年の頃には在籍数約400人の福岡最大勢力を誇った暴走族「幻影」の総長となり、福岡連合二代目総長 に就任。
当時、暴走族の中で山タイマンと言う勝負があり「お互いの暴走族の頭をOBが車で山の頂上に連れて行き、そこで、2人がタイマンし、勝ったほうだけが車で帰って来れる」と言うルールで戦わされたのです。
ちなみに、当時の福岡連合の傘下のチームは
・汝風(拠点:福岡市東区)
・銀杏会(拠点:糟屋郡)
・幻影(拠点:糟屋郡)
・幻狂會(拠点:福岡市東区)
・古賀RS(拠点:古賀市)
・死流會(拠点:宗像市)
・飛虎隊(拠点:古賀市・宗像市・福津市)
とかなり、数があったとされています。
その中で佐田正樹さんは見事に勝利し、車に乗って帰りました。
すべらない話では武勇伝が定番?ハワイ旅行当時に逮捕
”すべらない話”に出演すると、やんちゃしてた時代の話をすることがあります。
もともと高校に進学するつもりのなかった佐田正樹さんですが、母の勧めで修学旅行がハワイの高校に入学しました。
楽しみにしていたハワイへ修学旅行の当日に朝7時に起きる予定が早朝5時に母親に起こされたのです。
ベットの周りに警察官が立っており、すでに逮捕状が出ており、修学旅行に行く直前に暴走行為で警察に逮捕されてしまったそうです。
佐田正樹は学生時代に逮捕歴あり。薬物疑惑はガセ
佐田正樹さんは高校3年生の頃に暴走族を引退されています。
やばい組織からの勧誘もあったようですが、事務所で研修をした際に電話番か掃除担当でしかなかった新人の扱いの悪さに幻滅したため、その世界には進まなかったそうです。
ヤンキーを辞めた後の佐田正樹さんは情緒が不安定となりカミソリ自殺をしそうになるなど、一時期の佐田さんは完全に燃え尽き症候群になってしまったのです。
ちなみに、佐田正樹さんは不良時代に逮捕されたことはありましたが、薬などには一切手を出していません。
佐田正樹さんは同級生の清人さんとお笑いの世界を目指すと決めてからは、再び目標ができ、不安定な状況から脱出することができたそうです。
暴走族を引退してどうしようもない毎日を送っていた佐田が、担任の教師に「将来何がしたいんだ?」と訊かれ、俳優か歌手になりたいと答えると、「お前は歌手ってガラじゃないし、俳優は台詞を覚えるのが難しいから、清人とお笑いやれ」と促され、福岡第一高等学校の同級生で同じく暴走族の「福岡連合」出身の大溝清人と1997年4月に「バッドボーイズ」を結成。
まさに”お笑いに救われた人”ということです。
自身の半生を描いた映画「デメキン」。少年院での講演
佐田正樹さんは自伝『デメキン』を2009年9月に出版し、2010年3月に漫画化、2017年12月に映画も公開となりました。
佐田さんが現役時代に乗っていた同じバイクや特攻服を当時の写真から忠実に再現するなど、かなり力が入った作品となりました。
テレビではネタとして不良時代のこと語る佐田さんですが、今となってはヤンキー時代のことは後悔や情けなさの方が多いようです。
今では少年院に訪問し、非行少年たちに自分の実体験を言い聞かせるような活動もされています。
少年院にいた頃、母親が泣きながら「私とあの子を交換してください、私とあの子を交換してください」と言っていたのが聞こえて、泣いてしまったことがあったそうです。
「俺はいったい何の為に反抗してるのか」と思い更生のきっかけになったそうです。
少年院の講義では、
「何が正義で、が悪か分からないが、もし愛する人が殺されたら相手を殺したいと思いますが、この国のルールは殺したら犯罪になります。ここで殺さずにいられればその人は大人です。それが大人という事です。」
と語り、多くの非行少年たちの共感を得ていました。