2014年に世間を震撼させた当時高校1年生の女の子による事件。
現在では「佐世保女子高生殺害事件」と呼ばれ、2010年代を代表する未成年による事件であります。
事件を起こした女子生徒に関する情報などはネット上に多く書かれており、今後に社会復帰した際は酒鬼薔薇聖斗さんのように同行が追われることでしょう。
今日は「佐世保女子高生殺害事件」を起こした女子生徒について、わかっている情報を整理してみたいと思います。
佐世保事件の犯人であった徳勝もなみ。当時高校生で被害者の松尾愛和とは中学時代からの友人
徳勝もなみさんは事件を起こした2014年当時は高校1年生の女子高生でした。
”あんな極悪な事件を起こすなんて、どんな女子高生だ?”と世間の関心を誘い、ネット上ではすぐに徳勝もなみさんの詳細について書かれました。
両親は父が早稲田大卒の弁護士で、母は東大出の元テレビ局員、そして兄も早稲田大学在学と、まさに絵に描いたようなエリート一家でありました。
徳勝もなみさん本人も学業優秀で運動神経も良かったそうです。
名前 | 徳勝もなみ |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
生年月日 | 1998年or1999年(2014年7月時点で高校1年生) |
家族 | 父:徳勝仁(早稲田大学卒の弁護士)。母:徳勝宏子(東京大学卒の元テレビ局員)。兄貴(5歳年上で早稲田大に通う)。 |
出身中学 | 中高一貫教育の名門校・県立佐世保北中学校 |
出身高校 | 佐世保北高校。三日だけ通い不登校。 |
持病 | 自閉スペクトラム症 |
特技 | 幼少期からスピードスケートを習い国体に出場。 |
趣味 | アニメ |
少女時代は文武両道。小6で給食への薬物混入事件。不登校気味になり名門校受験
優秀な両親の元に生まれ育った徳勝もなみさんですが、小学生時代から問題のある生徒でした。
勉強に関しては昔から学年のトップクラスで、尚且つ幼少期からスピードスケートを習い国体に出場した経験もあり、文武両道の優秀な生徒ではありました。
小学生の頃から感情の起伏が激しく、突然大声を上げたり泣き出すなど奇行が目立っていました。
徳勝もなみさんは、クラスメイトより変人扱いされ、友人関係も限定的だったそうです。
また、医学書を参考に猫を解剖するなど問題行動を起こし地元の警察からマークされていました。
小学6年になると2010年12月に給食への薬物混入事件を起こします。
仲の悪いクラスメイトの給食にベンジンや液体漂白剤を混ぜるといった行為を行い、時として「一緒にやらない?」と同級生を誘っており、本人的には軽い気持ちのイジメだったようです。
最初の被害者となった女子生徒の給食に4度薬物を混入する嫌がらせを続けながらも泣き寝入りで表面化しませんでした。
その後は交流もない男子生徒の給食にも薬物を混入するなど行動がエスカレートし、その男子生徒がすぐに担任教師に被害を報告し、徳勝もなみさんの行為が表面化。
薬物混入が表面化すると、市の教育委員会が調査に乗り出すほどの大騒動へと発展しました。
母・宏子さんは被害者の両親たちに土下座して謝罪。
裁判沙汰こそ避けられましたが、クラスから孤立し不登校気味となりました。
その後は環境を変えるために中学受験に挑み、中高一貫教育の名門校・県立佐世保北中学校に合格し、孤立していた小学校時代の同級生達と離れることになります。
進学した中学では後に被害者となる女子生徒と同級生になります。
徳勝もなみは中学時代に母と死別。父の再婚話&留学取り消し・養子縁組の後に金属バットで父を襲い頭蓋骨骨折
徳勝もなみさんは中学に進学後はきっちり学校にも通うようになり、学校では放送部に所属していました。
この頃には将来の夢がNHKアナウンサーになるなど、すっかり普通の女の子になっていました。
しかし、実際のところは小動物への虐待癖は改善しておらず、時たま猫を解剖していました。
母・宏子さんは娘の行動を察知したのか、中学卒業後は海外留学させようと考え、2012年より留学先を探し始めました。
しかし、母は若くして膵臓がんを患い、徳勝もなみさんが中学3年生の2013年10月に病死しました。
翌年の2014年には父・仁さんは早くも結婚相談所で知り合った女性との再婚話が浮上したり、父親・仁さんがもなみを祖母(父親の母)の養子にするなどしていました。
「財産分与と節税の観点からの措置。父親・仁さんが娘を切り捨てたわけではない。戸籍上のもなみの親は祖母ということになるが、実父が父親である事実は生涯変わりなく、実際に、父親がその後も事実上の父親としてもなみと接している」(父親の代理人)
2014年1月には共に出場したスケート大会で、大喧嘩をしていたようです。
今年1月末に開かれたスケート競技に父子で出場した際、二人は激しくぶつかったという。「会場でもなみちゃんとお父さん(仁さん)は大げんかして、周囲の人が『何があったのか』と振り返るほどでした。もなみちゃんは『足が痛い』と試合を棄権し、お父さん(仁さん)の言うことをまったく聞かなくなった」(知人男性)確かに当時の報道を見ると、前日には出場していたもなみは2日目の種目を足の故障で棄権している。
その後に徳勝もなみさんの留学話が白紙に戻るなど、色々な出来事がありました。
徳勝もなみさんは養子縁組や留学白紙や再婚話で父を憎んだのか、2014年3月2日の高校進学直前に父親・仁さんの寝込みを金属バットで襲い、頭部に重傷を負わせました。
仁さんは頭蓋骨を陥没骨折してしまい、2014年3月に入院することになりました。
これを最後に、父と娘が一緒に住むことは無くなりました。
徳勝もなみは高校1年にして1人暮らし。精神科で自閉スペクトラム症の病気発覚
2014年3月に父・仁さんを金属バッドで襲った徳勝もなみさん。
その後も、包丁を持って仁さんを襲おうとするなど徳勝もなみさんの問題行動は治りませんでした。
2014年4月に佐世保北高校に進学後も”秋から海外留学する”と不登校。
結局1学期は3日間しか登校していません。
高校生になった4月から佐世保市内のマンションで1人暮らしを始めたことも、大胆な不登校やその屁理屈になっていました。
彼女の身を心配した学校側は中学時代や高校の担任教師をマンションまで派遣し、悩み相談に乗ったり精神科医を交えてカウンセリング治療を受けさせるなどできる限りのことはしていました。
当時、彼女のカウンセリングをした精神医は、かつての極悪犯罪者たち(酒鬼薔薇聖斗など)と同じような予兆があるとして、後の彼女の犯罪を懸念していたそうです。
それを知った父は娘を精神病院に入院させようと、同年7月には入院できる場所を探していたのです。
中学時代からの同級生・松尾愛和さんを1人暮らしのマンションに呼び出し凶行に及ぶ
2014年7月26日には、同級生を自宅に呼び出し、かの有名な事件にまで発展してしまいます。
事件前日の2014年7月25日に「佐世保こども・女性・障害者支援センター」に娘のことを電話相談しようと試みたものの、相談はサマータイムで受け付け時間が終っており、後日に連絡するように促されて終わりました。
徳勝もなみさんは事件数日前には松尾さんと遊ぶ約束を取り付け、ホームセンターで事件の凶器となる金槌や犬のリードを買い揃えていました。
2014年7月26日午後に松尾さんと合流し自宅マンションまで誘い込こんだ後、隙を見て松尾さんに襲いかかり、凶行に及びました。
事件後に体の一部をノコギリで解体するなど奇行に走っています。
徳勝もなみさんは、遺棄しやすくするためではなく、”単純に人を解体してみたいという心の欲求に従った”とのことです。
娘が帰ってこないことを心配した松尾さんの両親が、当日の23時に警察に捜索願を提出し、翌日の早朝には警察より現場マンションの家宅捜索を受け逮捕されました。
逮捕後、少年審判中に自閉スペクトラム症の障害があったことが明らかとなっており、この病気がもっと早くに把握でき、入院できていれば、このような事件には発展していなかったと悔やまれます。
徳勝もなみと家族の現在。父・仁→自殺。兄→早稲田大退学。少年院は2024年出院?
徳勝もなみさんの家族といえば、事件が起きた2ヶ月後に自殺した父の弁護士・仁さんが有名です。
父親である徳勝仁さんは、早稲田大学を卒業後に弁護士試験に合格。
開業した弁護士事務所を長崎県下でも有数の規模へと成長させたやり手弁護士でした。
一時期は有名企業の顧問弁護士まで担当し、その頃は年収が1億円を超えていたのでは?噂されていたほど権勢を誇っていました。
自宅は地上2階地下1階の鉄筋コンクリート造りの豪邸で、家の中にはエレベーターまで完備されていたなど裕福な家庭でした。
家族 | 事件当時 | その後 |
父・徳勝仁 | 地元で有名な弁護士 | 事件の2ヶ月後の10月5日に自宅で自殺。 |
母・徳勝宏子 | 2013年に膵臓がんで死去 | |
兄・徳勝丈 | 早稲田大学法学部2年で弁護士を目指す | 大学を退学 |
母親の徳勝宏子さんも東京大学を卒業し、仁さんと結婚する前はテレビ局に勤務していたエリートでした。
旧姓は江添で母方の祖父が地元新聞社のお偉いさんでした。
宏子さんは結婚・出産後も社会活動を続け、女性と育児に関するNPO法人を立ち上げたり、佐世保市の教育委員に任命されたりと、地元の名士として知られていました。
徳勝もなみさんが学校で問題を起こした際も、母・宏子さんが被害者に土下座してことで
中学3年生に進級した2013年10月にすい臓がんで病死。
兄・徳勝丈さんの人生にも多大な影響を及ぼしました。
兄は、当初は東京大学進学を目指しましたが一浪、その後に早稲田大学法学部に進学しました。
事件前まで兄・丈さんは早稲田大学2年生で弁護士を目指していましたが、妹の事件後に退学することになります。
幼少期からの目標だった弁護士への夢が絶たれました。
徳勝もなみの逮捕後から現在。第三種少年院へ送致。義母・素が出院後も支える?
逮捕後の徳勝もなみさんは、警察の取り調べに淡々とした様子で受け答えしました。
特に取り乱したりすることもなければ、謝罪の言葉もなかったようですね。
酒鬼薔薇聖斗でさえ、逮捕の瞬間は号泣していたのに対し、徳勝もなみさんは逮捕されたことへの恐怖や不安もなかったのです。
加害者は「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」などと供述しているが、2人の間の具体的なトラブルなどは不明である。取り調べに「殴ってから首を絞めた。すべて私が1人でやりました。誰でも良かった。」と犯行を認めるものの、受け答えは淡々として反省の様子は見られなかった。
逮捕後、少年審判前に刑事責任能力の有無を問うために、医療施設にて5ケ月間かけて精神鑑定が行われましたが、刑事責任能力があると認定を受けました。
長崎地検側は、「刑事処分相当」の案件として成人と同じ基準での刑事裁判を望んでいたが、事件当時15歳だった徳勝もなみは、原則として刑事処分されることになる年齢に到達していませんでした。
そのため、長崎家庭裁判所の判断により第三種少年院送致という「保護観察処分」に留まってしまいました。(※第三種少年院とは、心身に著しい障害があるおおむね12歳以上26歳未満の者を収容する施設。旧法の医療少年院に相当。)
長崎家庭裁判所の判断に対し、長崎地検側から”再犯の可能性が高い”として異例の批判的コメントが出るなどしました。
処分決定後、検察側は「再犯の危険が大きい」とするコメントを発表。表面上は裁判所の判断について「コメントする立場にない」としているものの、実質上は判断に強く反発している珍しい内容だ。
その後、徳勝もなみさんがどこの少年院に送致されたかについては明かされていませんが、第三種少年院は、東京府中市の関東医療少年院と京都府宇治市の京都医療少年院しかないため、このどちらかの少年院に収容されているものと思われます。
第三種少年院では、保護処分在院者を26歳まで収容可能となっているため、徳勝もなみが出院する時期は2024年頃になる可能性が高そうです。
義母・徳勝素は義娘を出院後も支える覚悟?資産家の令嬢。※父・仁の再婚相手
父の仁さんが元妻・宏子さんの死去後に再婚したのは、宮城県仙台市出身の資産家令嬢「素」さんはです。(※もなみさんにとっては継母)
再婚相手は30代前半ととても若く、そして華やかな仕事をしている上玉の女性でした。
素さんにとって仁さんは初婚相手でした。
「寂しさを紛らわすためなのか、父親は若い女性と頻繁に食事するなど夜の街を出歩く機会が増えた。今年初め、お見合いで知り合ったという東京在住の30代前半の女性(素さん)が佐世保に来るようになった」(一家の知人)
父の仁さんが母の死後にすぐに作った彼女の素さんですが、交際してすぐに再婚の話が出ていました。
後妻の素さんはとても育ちが良く、ピアノや乗馬を趣味に持ち、宮城県仙台市出身の資産家令嬢でした。
2014年の5月に、素さんの誕生日に合わせて結婚したそうですが、素さんのプロフィールの紙を周囲に配っていたそうです。
そのプロフィールの紙には、『ピアノが得意』『ソフトバンクのCMの犬の演技指導をしている』とか誇らしげに書いてあったそうです。
周囲の人は、”まだ前妻(宏子さん)の一周忌も済んでいないのに早すぎではないか”と心配していたそうです。
結婚話が持ち上がった際には、もなみさんの直近での奇行など、複雑な家庭に嫁ぐことに対して実家の両親から大反対されました。
娘・もなみの問題がありながらも、素さんは「仁さんをずっと支える!」と意気込み結婚したのです。
しかし、結婚直後に仁さんは娘・もなみさんの問題を苦にして亡くなってしまいます。
そのまま離婚になるかと思われましたが、素さんは自分が家を空けている間に仁さんが自殺をしてしまったことに対して強い罪悪感を感じ、夫の死後も徳勝もなみの更生をサポートすることを周囲に宣言していたようです。
しかし、事件現場の観光地化の波が徳勝邸にも押し寄せ、とても普通に生活をするのは不可能だとして、その後の素さんは実家へ帰省したそうです。
それでも現在までに籍を抜いておらず、一部では財産分与目当てでは?という声もあります。
ネットには仁さんと交際後に、
”前妻の宏子さんの愛犬の柴犬の小麦ちゃんを保健所で処分した”、
”もなみちゃんに実母との思い出のピアノ部屋で仁さんと連弾していた”
など、もなみさんのメンタル影響を与えたとの都市伝説があります。
しかし、これらの悪い噂は証拠も根拠もないため、現在の時点では信憑生が低いです。
又、現在ももえみさんの出院を待っているかどうかは不明です。