岡田斗司夫の凄さ(何者?)。高IQと実家。アニメ制作や大学講師。YouTubeの成功

岡田斗司夫さんといえば、ネット界隈でよく名前を聞く人物です。

実は古くから大手メディアにも出演しており、その発言は各界に影響を与える大物です。

岡田さんが作り出すコンテンツはどれも人の好奇心を誘い、動画サイトでは他の投稿者とは圧倒的な差をつけた重厚な内容となっています。

これまでに岡田斗司夫さんのことを知らなかった人からすれば、「あの面白い男は何者なんだ?」と衝撃を受けることでしょう。

今日は岡田斗司夫さんの子供時代から現在までの経歴や、何が具体的に凄いのか?について書いてみたいと思います。

岡田斗司夫とは何者?IQ148の天才!幼稚園に通わず宗教家の両親に自由に育てられる

岡田斗司夫さんの出身は関西で、生まれから大人になるまで大阪で過ごしています。

コンテンツの中では標準語を扱っているので、関西出身なのは意外ですね!

大人になるまで地元・大阪で仕事までされていましたが、25歳の頃に不倫を機に地元に居づらくなり、東京進出を果たします。

大学も意外と有名大学ではなく、最終的には中退してるということで”高卒”というステータスです。

名前 岡田 斗司夫(おかだ としお)
生年月日 1958年7月1日
出身地 大阪府大阪市
職業 大学講師、プロデューサー、評論家、文筆家、実業家。
得意ジャンル アニメ。サブカルチャー。SF。映画。人文学。社会学。
家族 父、母、姉。
幼稚園 住吉区遠里幼稚園
小学校 大阪市立遠里小野小学校
中学 大阪市立三稜中学校
高校 大阪府立今宮高等学校(卒業後に受験に失敗し夕陽丘予備校の予備校生となる)
大学 大阪電気通信大学(中退)

幼稚園の頃から読み書きができる神童。IQ148を叩き出す!

岡田斗司夫さんは1958年に大阪府立病院で一男一女の第2子として出生します。

「斗司夫」は当時にして珍しい名前で、意味は「斗(闘いを)司(司る)夫(ますらお)」という意味です。

住吉区遠里幼稚園に入学した頃から字の読み書きができる「神童」でした。

知能検査を受けると知能指数が148以上あることが発覚。

”頭が良いのなら宿題などは単なる機会損失に過ぎない”と、以後の勉学を放棄すると決めたそうです。

当時、小さな子供ながら「幼稚園に通うのは無意味!」と訴え、2年目に退園してしまったそうです。

父は小学校の先生で母は裁縫の内職を拡大させ成功し宗教を買収。とんでもない豪邸で少年時代を過ごす

幼児にして読み書きができ、子供にして高い偏差値数を誇った岡田斗司夫さん。

気になるのは両親と実家、育てられ方です。

岡田斗司夫さんの父は大東亜戦争時に少年ながら大日本帝國軍の工兵として徴用、戦後は大阪師範学校(後の大阪教育大学)を出て小学校教員となりました。

そして母は裁縫の内職で家計を支えていましたが、その後に裁縫関係で独立すると大儲けし、岡田さんが小学3年になる頃には会社になるほど規模が広がました。

母は収入のほとんどが税金に取られることに嫌気が差し、潰れかけの宗教を買収し節税を狙いました。(母はクリスチャンでキリスト教青年会にも通っていたが信仰は弱かったそう)

同時期に父は小学校の先生の仕事を辞めて、夫婦で経営を営むことになります。

宗教としてある程度の投資をしないといけないということで、自宅を増設し大豪邸に仕立て、最終的には敷地面積50坪に縦横高さが10メートルのコンクリート製の立方体となり、4階が増築され神棚が置かれるなどしました。

豪邸に関しては岡田斗司夫さん自身がネタにしたこともあります。

コップの水が凍る程強力な業務用エアコンを設置

岡田さんと姉の部屋は25畳の広さで姉の部屋には天井からブランコがぶら下がっていた

半地下の核シェルターがあり2年分の食用が保管されていた

シェルターはエレベータのみで階段がないので、エレベーターの電源を一階から封鎖すると中に進入するのは不可能。

1階には窓は一つだけ

・隠しリビングのソファー横にあるスイッチ一つで鋼鉄シャッターとカーテンが電動で操作できた

と、説明されていました。

エレベーターが使われていたのは、母が椎間板ヘルニアを患い足が不自由だったこと大きな理由です。

節税のための宗教買収でしたが、結局、経費が莫大だった為に大した節税効果はなかったそうです。

岡田さんの少年時代は母の成功で一変し、「岡田さんとこのボン」と界隈でも名が通り、模型店でも売掛(ツケ)で購入出来る程など顔が利く子供となりました。

岡田さんは子供の頃に培った科学的素養や世相が、後の創作物や講演などで活かされる事になったと語っています。

父親の趣味の影響でオカルトやSFに突出。子供にして科学や物理に詳しくなる

父親はUFOや超能力などオカルト好きな学校な先生でした。

岡田さんの父は横山光輝さんの『バビル2世』の大ファンだったそうです。

子供の頃は父親が買ってきたUFO関連の書籍を拾い読みし、この頃からオカルトの世界に浸っていました。

大阪万博の御当地という環境もあって科学、物理方面に強い子供に育ったのです。

岡田さんは父親と空想上の乗り物の内燃機関について互いに知恵を絞って語り合っていたと後に回想しています。

岡田斗司夫の凄さ。ガイナックス設立やプロデュース力。東大などで講師。個人コンテンツで成功

岡田斗司夫さんの何が凄いのか?

簡潔にいえば、若くしての自己制作、開業、起業の成功

そして、講演や自己表現の巧みさです。

どれも全て岡田斗司夫さんの知能数が高いだけでなく、本人の行動力が伴っているからこその経歴なのです。

講師としては東京大学、立教大学で教壇に立った経験もあるほどに知識人としての需要があり、最も凄いのは”世界大学ランキング”の1位常連であるマサチューセッツ工科大学でも講演に呼ばれたことがあるほどです。

知識人としては、子供の頃から強かったSFやオカルト、アニメを学問的に砕いて、他の評論家とは違うベクトルでボロ勝ちしてきたのです。

岡田斗司夫さんの何が凄いのか?若くしてプロデューサーとして手腕を発揮しSFショップを開拓

彼の凄さは大学を中退した後からの経歴で分かります。

まず、大阪電気通信大学に在籍していた20歳の頃に第17回日本SF大会(ASHINOCON)に参加し、武田康廣さんと共に話芸を披露し成功し、界隈で「関西芸人」の異名を取りました。

21歳になった頃には第4回SFショーの事務局長を務め、企画・構成・演出を考え、大学生にして桂枝雀のSF落語やコスチュームショーなどを企画構成し成功させました。

23歳の頃には第20回日本SF大会(DAICON3)を開催し、岡田斗司夫さんはオープニングでDAICON FILMの自主製作アニメーションを上映しました。

岡田斗司夫さんは日本SF大会の会場でグッズやガレージキット、自主制作作品のビデオ販売するなどし赤字を回避し、この頃からアニメをビジネスにする手腕を発揮しました。

翌年、1982年(24歳)に親からの出費でSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を開店し、SFグッズやガレージキットを販売し、ガレージキット市場の形成に大きく貢献しました。

若くしてガイナックスを設立しヒット作を生む。エヴァンゲリオンを制作する会社に成長

岡田斗司夫さんはSFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を開店した同年の1982年に、脚本を執筆したDAICON FILMの自主製作映画『愛國戰隊大日本』を製作し、SF界で大きな話題となりました。

翌年の1983年には庵野秀明さん主演の元、DAICON FILMの自主制作映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』で脚本と総監督を務めました。

アニメ創りを本格化さすべく、1984年の26歳の頃にはアニメ制作会社ガイナックス創業し、社長となりました。

ガイナックスではアニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、OVA『トップをねらえ!』、NHKテレビアニメシリーズ『ふしぎの海のナディア』や、PC用ゲームソフト『プリンセスメーカー』などのヒット作を生み出しました。

岡田斗司夫さんは1992年に退社しましたが、その後1995年10月には「エヴァンゲリオン」を制作するなど、ガイナックスは業界のトップまで成長しました。

評論家としてメディアにも出演!東京大学・立教大学・マサチューセッツ工科大学で講師

社長を退任後は、東京大学非常勤講師に就任し、作家・評論家としての活動も始めました

立教大学やマサチューセッツ工科大学講師、大阪芸術大学客員教授などを歴任するなど、知識人として華麗な経歴を辿りました。

評論家としてもメディアに度々出演し、毎回鋭い意見で視聴者を楽しませました。

一時期は吉本興業に所属し、漫画作品アオイホノオのドラマ版に手塚治虫役で出演するなど、タレントとしても活躍されました。

その後には著書「いつまでもデブと思うなよ」で紹介したダイエット法「レコーディングダイエット」が大ヒットし、女性や若いファンも獲得しました。(日々摂取する食物とそのカロリーを記録するダイエット)

SFショップ経営からアニメ制作会社の創業、退任後からこのような経歴を辿ったのは岡田斗司夫さんが最初で最後だと思われます。

現在はYouTubeなど動画サイトで人気!”4つタイプ”などの哲学やジブリ系のコンテンツが人気!

岡田斗司夫さんはニコ生やYouTubeなどの動画サイトで、個人で語り尽くすような形式のコンテンツでも大成功されています。

ジブリやディズニーなど、需要のあるテーマを学問の視点からバラして解説し、普通の評論家やマニアとは全く違ったレベルのトークを披露し続けました。

また、過去に作成した「岡田斗司夫の4つのタイプ診断」と言われる図式の反響が凄まじく、現代になっても人気の分類学となっています。

人間の内面的なことを言語化することに長け、哲学者としても優れた一面を持っているのです。

動画コンテンツでは相談も受け付けており、家族、就職、結婚、老後のことなど、現代人が悩むテーマを、岡田斗司夫さん流の解釈で答えて、その回答内容の素晴らしさから多くの信者を生んでいます。

おすすめの記事